やってみなくちゃわからない
手描き・MMD MAD進捗状況専用報告所
なんとかアップロードしました。
旧暦の七夕である今日、どうしてもアップロードしたかったやつです。
下の妹を迎えに行く時雷が光っていましたが、まだ雨は降らず、空気も雨の気配を含んでいないので今日は最後まで邪魔されずに済みそうですね。
さて。扇の家紋は、テスクチャ等で見えづらい(和紙に描いてあるようにしたかったのでああなりました)ですが、実際はこんな感じです。
下に置いた家紋は、右から三ツ葵・三ツ剣銀杏(けんいちょう)・九曜・大一大万大吉。三つ葵以外は手製です。
ちなみに三ツ葵は、前述の『家康の遺産』にて実際に使っていたものの特徴をほんの少し入れたものになっています(真ん中の茎部分が繋がっておらず、また外縁部には時計回りに曲がってついている)。
さて、何故九曜と三ツ剣銀杏かと言いますと、まず始めに、裏地が家紋一つで寂しいと思っていた折に「当時の三成は大一~は旗印として使用し、家紋は九曜を使っていた」という事を知り、じゃあそれ使えばいいじゃんという軽い気持ちで決定しました。
しかし、その時既に意味も対になるような絵柄にすることを決めていたので、家康の“そういう”家紋が無いか探してみたのですが、どうにも無いらしいのです。
と、いうかあったかどうかも分からない、と。それでも松平氏時代に使っていた紋があるだろうという推測の中で有力視されているのが『大中黒(丸の中に太く黒い一本線)』と上記の『三ツ剣銀杏』なのだそうです。
剣銀杏のデザインが気に入ったのと、『丸に○○』形が二つ重なるのを避ける二つの理由からこちらにしました。
表のデザインは以前言った通り、右を東、左を西に見立てて家康が昇る太陽、三成が隠れる月(動画最後の二人並んだ所もそれを意識/あくまで意識。実際に東西だった場合、北から後光なんてありえないので)です。
あ。ちなみに扇の赤い部分は三成・家康共に完全に同じ色(家康のを反転ペーストして、家紋や月に掛かったり違和感が無いように少し角度を変えただけ)です。上からざかざかと金と濃い紫でかすれたような線を描いたら、かなり印象が変わりました。これも以前の記事に書いたデザイン元の家康が実際に使っていた、徳川美術館(博物館)蔵の『軍扇 金銀日月星図』を参考にさせて頂きました。
扇の事はまた後日書き足すか、読みやすくするために部分的に削除するかとは思いますのでこのくらいで。
長くなってしまったので、動画自体については折りたたみました。『動画について』からどうぞ。
下の妹を迎えに行く時雷が光っていましたが、まだ雨は降らず、空気も雨の気配を含んでいないので今日は最後まで邪魔されずに済みそうですね。
さて。扇の家紋は、テスクチャ等で見えづらい(和紙に描いてあるようにしたかったのでああなりました)ですが、実際はこんな感じです。
下に置いた家紋は、右から三ツ葵・三ツ剣銀杏(けんいちょう)・九曜・大一大万大吉。三つ葵以外は手製です。
ちなみに三ツ葵は、前述の『家康の遺産』にて実際に使っていたものの特徴をほんの少し入れたものになっています(真ん中の茎部分が繋がっておらず、また外縁部には時計回りに曲がってついている)。
さて、何故九曜と三ツ剣銀杏かと言いますと、まず始めに、裏地が家紋一つで寂しいと思っていた折に「当時の三成は大一~は旗印として使用し、家紋は九曜を使っていた」という事を知り、じゃあそれ使えばいいじゃんという軽い気持ちで決定しました。
しかし、その時既に意味も対になるような絵柄にすることを決めていたので、家康の“そういう”家紋が無いか探してみたのですが、どうにも無いらしいのです。
と、いうかあったかどうかも分からない、と。それでも松平氏時代に使っていた紋があるだろうという推測の中で有力視されているのが『大中黒(丸の中に太く黒い一本線)』と上記の『三ツ剣銀杏』なのだそうです。
剣銀杏のデザインが気に入ったのと、『丸に○○』形が二つ重なるのを避ける二つの理由からこちらにしました。
表のデザインは以前言った通り、右を東、左を西に見立てて家康が昇る太陽、三成が隠れる月(動画最後の二人並んだ所もそれを意識/あくまで意識。実際に東西だった場合、北から後光なんてありえないので)です。
あ。ちなみに扇の赤い部分は三成・家康共に完全に同じ色(家康のを反転ペーストして、家紋や月に掛かったり違和感が無いように少し角度を変えただけ)です。上からざかざかと金と濃い紫でかすれたような線を描いたら、かなり印象が変わりました。これも以前の記事に書いたデザイン元の家康が実際に使っていた、徳川美術館(博物館)蔵の『軍扇 金銀日月星図』を参考にさせて頂きました。
扇の事はまた後日書き足すか、読みやすくするために部分的に削除するかとは思いますのでこのくらいで。
長くなってしまったので、動画自体については折りたたみました。『動画について』からどうぞ。
さて、動画の事ですが、実は今回の個人的テーマだった場転の他にも、ちょこっと拘った所があります。言わないと気付かれないような所ですが。
・家康のフードも上体に合わせて慣性っぽくちょっとだけ動く
・三成と家康は手は勿論、扇でさえもぶつからない
この2点です。カメラの関係で見えない(正面向いてのジャンプや、アップ時の腕広げなど)所も全て打ってあります。
今回MMDからの書き出しに苦労させられました。オブジェクトルミナスがどうしても途中でもわっと全面に出てきて、頭を悩ませていたのです。
どうも、演算を少しでも軽くするために使う所以外はOFFにしていたのがいけなかったのか、ONになった瞬間に白靄が発生していたらしいです。消える方は大丈夫なのに……。結局あきらめて最初からつけっぱなしにしました。
海も本来なら空の青い部分なんて映りもしない筈なのですが、そこは水面に反射する二人の姿を優先しました。
また、動画内に書いていませんが、関ヶ原集結はかなりの部分に改変テクスチャを、乱入は矢から身を守る戸板の部分に新規テクスチャを追加させて頂きました。
本当に今回は兎にも角にもレンダリングに時間がかかって、あまりに暇すぎて(レンダリング中は、PCに別の事をやる余力が無い)、16の巨像を残すのみとなっていた、某ゲームをクリアしてしまいました。演算結果が気に食わなかったり途中で正体不明のブレが起こったりで結局納得のいくレンダリング結果になるのに三日掛かりました(1本書き出すのに60fだと4時間、30fでも2時間強掛かるので)……。
そういえば、同じくMMDを弄っている上の妹から『今回は珍しく表情弄ってないんだね』と言われましたが、こちらもすこ~し弄っています。基本的にはどこかせつなさの残るあの表情のままですが、『あの日~場所か』の部分で三成は眼を閉じて顔を逸らし(元のモーションよりも若干早め+深めに顔を逸らすようにしています)、家康は悲しげな顔で閉じていた目を開けます。その後一度目を閉じて開けると元通りですが。
で、そのまま踊って最後の最後。礼をして顔を上げた時に、二人ともほんの少しだけ微笑みを浮かべています。ぱっと見ただけでは分からない程度の微笑みにしたのも、小さなこだわりです。
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